いつもありがとうございます。

「幸せのことば師」佐藤 文香です。

これまでのお話

 

“友達夫婦”でお互いを尊重する、が

だんだん、干渉しない、甘えない、にも

なっていった、最初の結婚生活。

そして“サバサバ夫婦”ゆえの(と当時は

思ってました)セックスレス。

今回は、そんな結婚生活で、私が患った

病気のお話。

【4】2回の手術と、パニ鬱

結婚して3年たった頃、子宮筋腫、

子宮内膜症、卵巣嚢腫が見つかりました。

日常生活に支障があるほどだったので、

すぐに手術を決断。

その時は「悪いものは切ればいい」

くらいにしか思ってませんでした。

病気のこともそれほど知識もなく、

調べることもあまりしませんでした。

かかった産婦人科の先生は、子宮も卵巣も
極力残すように手術をしてくれると
いうことだったので、それだけで
「ならば手術してすっきりしよう」

みたいな思いだったですね。

 

会社を3カ月休職しましたが、ハードな
仕事が病気の原因でもあるかな…という
思いがあったのと、
いつかはフリーライターとして独立したい
という希望もあったので、

これを機にそのまま退職。

フリーランスとして元の職場を中心に、
ライターや編集の仕事をもらって

やっていくようになりました。

 

会社員の時よりは自由がきいて、仕事に

拘束される時間も少なくなりましたが、

大きな仕事をもらった時は仕事先に
泊まり込む、なんてこともやってたので、

結局仕事中心の生活には変わりありません。

これは当時も自覚してたんですが、
元夫にぶつけたい欲求、甘えたいとか
頼りたいとか、ああしてほしい、こうして
ほしいをぶつけられない代わりに、

仕事に向かっていました。

仕事で認められることで、そこの欲求不満
の帳尻合わせができているつもり

だったんです。

今思うと、私が元夫に妻として認められて

なかったワケじゃないんでしょうけどね。

全て自分で自分の“キャラ設定”をして、

私は夫に甘えたり頼ったりしない人

わがままを言わない人

と勝手に決めてただけ。

それを変えようなんて思わなかった、

変えられるとも思ってなかった。

その“キャラ”が自分のすべて、と思って

たんですよね。

 

今だったら
「病気になったのには理由がある」
というのを知っているので、まず自分の
考えグセ、性格、あり方などを振り返り

ます。

でも当時はそんなこと思いもしなかった
ので、そういう点では1回目の病気から

学んだことはほぼ無し(・_・;)

なので、そりゃーまた同じことを

繰り返します。

 

5年後、また子宮筋腫がひどくなって

日常生活に支障が出るようになりました。

今度は筋腫の位置的に、そのまま手術する
より、薬で小さくしてから切った方が
安全ということで、半年間ホルモン療法を

することになりました。

薬で女性ホルモンをの分泌を抑えることで、
筋腫が小さくなって、手術もしやすくなる、

というのが医者の見立て。

その代わり、整理や排卵が止まり、

更年期障害のような副作用が出る可能性が。

それが私にとっては、パニック障害でした。

 

突然、不安や緊張が襲ってきて、冷や汗が

出たり、動悸が激しくなる。

ひどいと動けなくなることもあります。

パニック障害の人たちはよく、発作が

起きると死ぬほど苦しいと言います。

私は幸いにもそこまでの発作はなかった
ですが、それでもあの緊張感や恐怖感は

例えようもなく気分が悪いものでした。

 

ある時、アパートで一人でパソコン仕事を

していた時、発作が襲ってきました。

不安で不安で、一人でアパートに
いることができず、岡崎の実家に

電話をして母に来てもらいました。

その時から、元夫が仕事に行っている昼間、
家に一人でいることができなくなって

しまいました。

自分の家に一人でいられない、というのは

結構なショックです。

仕方ないので、ホルモン療法中の約半年、

実家にいました。

もう、ほぼ引きこもりです。

実家でも皆が出かけて一人になってしまう
時はありましたが、そんな時は犬に
すがって一緒に留守番をしていました

(苦笑)。

気分転換に近所を散歩に出たり、ちょっと
出かけたり、妹と旅行に行ったりも
しましたが、出先で発作を起こして
家族に迎えにきてもらったり、病院に

駆け込んだことも。

 

今思うとけっこう苦しかったんだよな~、
と思うんですが、あまり「苦しい」に

意識を向けてなかったですね。

それよりも「少しでも楽になりたい」

必死でした。

仕事柄もありますが、今回は子宮筋腫の
治療のこと、パニック障害や鬱のこと、
更年期障害のこと、ネットや本で
調べまくり、いろんな民間療法も

試しました。

漢方、温熱療法、指もみ、ヨガ、呼吸法…

それで楽になっていってるという実感は

正直あまりなかったんですが、

この状態は、何もやってないよりはマシな
はず!

今日より明日は楽になる!

と日々言い聞かせていました。

ある意味、こんな前向きなパニ鬱患者は

いないでしょうね(^-^;

 

実家の家族も協力的でしたし、元夫も
頻繁に実家に来てくれて、入院中も

毎日病院に顔を出してくれました。

そう、彼も私のためにいろいろやって

くれてたのです。

なのに「頼っちゃいけない」って、

何だったんでしょうね(大汗)。

 

このパニ鬱から思ったのは
私はもう一人で生きるのはヤダ!

ということ(苦笑)。

結婚前は一人暮らしを謳歌していましたが、
そういう生活も魅力的と思わなくなり

ました。

もちろんこの時は将来離婚するとは思って

ませんでしたが(^-^;

パニ鬱後遺症の“一人でいるのが怖い”を
完全克服してからも、「実家を出るのは
誰か一緒に暮らす人ができた時」と

思ってました。

というか、「私は一人で生きていくのは
向いてない」と、この時から薄々気づき

始めたんですよね。

もちろん世の中には一生独身で、自分の
やりたいことをガシガシとやっていく
強い女性もいますが、

私はそういうタイプじゃないな、と。

 

それを本当に腑に落とすにはここから

まだ何年もかかったのですが、

このパニ鬱の経験から、私の考え方や
生き方が大きく変わっていくことに

なったのでした。

今日のことば 「ひ」

★“ひ”っし(必死)に、自分を変えよう、
何とかしよう、としたことありますか

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