いつもありがとうございます。
「幸せのことば師」佐藤 文香です。
今回はなんか書いてて、こんなことまで

ぶっちゃける意味があるのかな~(-_-;)

誰かのためになるのかな?
私の自己満足にしかならんのじゃ

ないのか?

と、思ってしまいました。

でも、この時期のことを俯瞰して

振り返ったことって今までほとんどなくて。

今だから見えたこともあって、

夫婦で生きるとか、パートナーシップとか
それを、昔を振り返りながら考えることが
ダーリンとのこれからに活かしていけると

いいな、と思っています。

一番しょーもない時の、過去の
ぶっちゃなので(;´Д`A “`

興味のない方はスルーして下さいませ。

《5》 別居から離婚へ
手術後、心療内科に通ってパニック&鬱の
治療を始め、わりとすぐに抗うつ剤を
飲んでいれば日常生活がほぼ支障なく

送れるようになりました。

元夫との2人の生活にも戻れました。

ときどきパニックの小さな発作は
ありましたが、外へ出て少しずつ仕事も

できるようにもなりました。

でも2度目の手術でメンタルを病んだ
ことと、年齢のことも考えて、
この先夫婦としてどう暮らしていくのかを
考えないと、という思いがだんだん湧いて

きて。

当時私は、2人で生活をつくるというより、
私と元夫それぞれが自分の生活を持って
いて、それをしていくのに都合がいいから
2人でいる、みたいな感じをなんとなく

持っていたように思います。

こんな書き方すると元も子もないように
思えるでしょうが、でも私たちなりの

夫婦としての愛情はあった(はず)です。

結婚した頃は「夫婦でも経済的精神的には
それそれが自立していた方がいい」

思っていたのですが、

私が病気をして仕事もあまりできなく
なって、
数年たってもパニ鬱から完全に立ち直って

いない状態が続いていて、

自分が思っていた形の“イマドキ夫婦”で
いいんだろうか?

と思い始めちゃったんですね。

30歳半ばに差し掛かって、子供を産むのか
どうするのかもきちんと決めないと

いけないんじゃないか。

どんな夫婦になっていきたいか、
夫婦として2人でどんな暮らしがして

いきたいか

そんなビジョンが今までまるでなかった
ことに、不安と不満を覚えるように

なりました。

世間一般の30代夫婦がしているように、
子どもを育て、自分たちの家を買って

“地に足の着いた生活”をする、

そんなところを目指した方がいいんじゃ

ないか。

…って、今書いてて改めて気づいたん
ですが、「いけないんじゃないか」とか
「した方がいいんじゃないか」って、
自分の意志が全くなかったですね

(大汗)

私自身が「そうしたかった」んじゃないんだ。

というか結局、「そうする覚悟」を

決め切れてなかったんですよね。

そりゃ、元相方にばっかり「決断」を

迫ったって、答えは出ないよな…(・_・;)

話がそれましたが、元に戻って。

子どもの話は、レスだったこともあって、

私はなかなか言い出せなかったんですが

さすがに年齢的なタイムリミットが迫って
きているのを感じて「どうすんの?」

みたいに話を出すようになりました。

でもレスの原因も話し合わないで子どもが
欲しいのかどうなのかなんて、

本末転倒だな~、と今は思うんですがね。

ほかにも(いわゆるまわりの同世代家族と
同じような暮らしをするべく)マンション

買うとか考えない? なんて言ってみたり。

ホント、笑えるくらい不自然なこと

やってたですね。

先に書いちゃいましたが、私自身が本気で
そう思ってない、そうしたいと決めて

ないのに相手ばかりに答えを求めていて

向こうも違和感を感じてたのかも

しれません。

私はそれほどしょっちゅう子どもや家の

話をしてたつもりはないんですが

彼は、仕事から家に帰ってくるのが

精神的にしんどくなってきてしまいました。

それを知った時、そんなにプレッシャーに

なっていたとは! と思ったんですが

原因は違うものの、私自身も家にいるのが
しんどいという思いをしていたために
「それはかわいそうだ」と、私は実家に

戻ることにしました。

とはいえ、何となく別居しててもどうにも

なりません。

この先どうするのかは考えてもらわないと。

私自身、10年の結婚生活で相手に言えずに

飲み込んできたことがたくさんありました。

やり直すにしろ、終わらせるにしろ、
そうやって言わずに我慢してきたことは

ここで伝えておかないと。

そう思って別居中、これまで相手に
言いたくて言えなかったことを振り返り、
自分の思いをノート1冊半に綴って、

元夫に送りました。

今思うとかなーり重いことしたよな~、
オソロシイ女だな~、と自分でも引きます

(^▽^;)。

だけど、それだけ書きまくったくせに、
一番話し合わなきゃいけなかった本当の

思いについては、触れずじまだったんです。

別居から1年後、このどうするかそろそろ
決めないと、となった時、

彼が私のノートを送り返してきて

「こんなふうに言われても、じゃあ
どうすればいいのか。
この先やり直すのか、ということも

今は考えられない」

みたいなことを言われました。

このままやり直す気になってくれるのを
待ってるも無駄なのかな…
そんなふうに待つことに私自身の時間を

費やすのももったいない話だしな…

と思い、離婚をしました。

こうやって振り返ってみると、結婚してた
時って結局私自身がどうしたいのか、が

まるで無かったのがよく分かります

“トモダチ夫婦”でいたのも、自分が

そうしたかったからというより

私のキャラ的にはそういうスタイルが

似合う

という“設定”が、本音にあったんですね。

今だから分かるけど。

もちろんそういう夫婦の形でいることで
居心地がいいとか自由があって良かったと

いうのはあります。

でも、「人と違う自分でありたい」という
のは“比較”という視点を前提にしてみて

いるのに過ぎない。

本当は

「人とは違うけど、私はこれは心地

いいからこうする」

なんですよね。

結局当時の私は、どこまでも「人とは違う
ことをする」ということで“カッコつけ”

てたのです。

今なら最初から「トモダチのように
割り切った関係でいる」のを前提として
夫婦という形をとる人たちもけっこう

いますが、

私たちのは中途半端な“ニセモノ夫婦”

だったかもな…と今にして思います。

今日のことば 「せ」

★自分のこと、“せ”きにん(責任)
持って自分で決めてますか?

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