いつもありがとうございます。
「幸せのことば師」佐藤 文香です。
なんだか小難しいタイトルをつけて
しまいましたが…(^-^;
昨日の続き、
から、印象に残ったことを。
印象といっても、「う~ん」と思ったこと
なんですけどね。
本の中で「哲人」と呼ばれる人が、
「人生は連続する刹那である」
というアドラーの言葉を紹介しています。
「刹那」とは瞬間というほどの短い時間を
指す言葉で、もとは仏教用語だそうです。
まあね、時間をいうのは瞬間瞬間の寄せ集め
ではあるんですが、
「刹那」と言われちゃうと、なんか
イメージ的に空しい、わびしい感じが
しちゃうのは、私だけでしょうか。
私が受講していた、白川神道をベースとする
言霊学の講座で、
「刹那」と「中今」は違う!
と、講師の1人が言っていました。
刹那的生きるというと、「『今この瞬間』は
一度しかないんだから、何やってもOK」
みたいになってしまいます。
でも、「中今を生きる」というのは、
そういうことじゃない。
「中今」も瞬間瞬間を指す言葉で、
こちらは神道用語。
「時間の永遠の流れのうちに中心点として
存在する今」
と、辞書にあります。
この解釈は私の独断と偏見もあるでしょうが、
「刹那」は物理的というか、無機質な時間を
指すだけ。
一方の「中今」は人の意識も込められて
いるように思います。
カンタンに言うと、最近よく言われる
「いまここ」の感覚。
確かに「今この瞬間」は一度しかありません。
だからこそ、その瞬間を大切に生きる。
過去を悔いたり懐かしんだり、
未来を不安に思ったり、逆に期待を寄せたり
することに時間を割くよりも、
今を見つめ、今やるべきことを淡々とやる。
その積み重ねが未来へ続くんですね。
だから、アドラーの
「人生は連続する刹那である」
という言葉、今ならせめて
「人生は『いまここ』の連続である」
と訳してほしかったな~(笑)
「まなゆい」セッション
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【今日のことば】「せ」
★あなたは「“せ”つな(刹那)的」に
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